連載開始と同時に一人用のボートで海へと漕ぎ出したパリ在住の龍山千里さん @チサト 。エッセイ「ボートを漕ぐ道すがら」では、ボートの内と外を巡らせて浮かび上がるその時々の心象風景を綴っていただきます。今月のイラストは、千里さんのこれまでをひと巡り遡ったものとなりました。
こんなにもホリデー感の薄い年末年始は初めてだった。
個人のリズムで働いて生活をしているからなのか、パティシエ修行中の夫がクリスマスや年始もギア高めで働いているからなのか理由はよくわからないが、なぜかいつも以上にフラットな気持ちで迎えた新年だった。
ここ数週間めっきり絵を創作する気が起きない。
今なんかわたし空っぽだな!とだんだん開き直ってきている。
それでも「止まるな」というサインなのか、やることは(ありがたくも)細々とある。
参加したいコンペも合わせて、それらは鍛錬と挑戦と営業を兼ねてやる。
しかし、ほかはスローペースでもひとまず泳ぎつづける……。いっそこの「けのび」をした状態でどこまで進めるのかようすを見たあとに、息が苦しくなったら仰向けにひるがえって、そのまましばらく水面に浮いてみようかなと思ってもいます。
最近、とある人から「人の人生は季節のようなサイクルが10年周期でめぐっているらしい」と聞いた。9年という人もいるので諸説あるのだろうが、私の場合は10年前を振り返るとその流れのシンクロに大納得してしまって「いま、わたし的に“冬”の到来だわ」と思い、なんだそういう流れなのかも、と腑に落とした。
10年前の2015年春、私は京都の山奥でひたすら織物をしていた。
今考えると静かな時間だった。
糸を染めること、経糸を張ること、生地を織りあげることを日々考えていて、それ自体がメディテーションのようだった。
そのときのような人生の「仕込み時期」もしくは「ふりだし」の気配を最近感じる。
それにしても、仕事を辞めて創作意欲が低下したのは、なんだかおかしいねと夫に笑われた。笑いごとじゃないけど、本当だなと思った。
もしかしてとは感じていたのだけども、おそらくサラリーマン時代、傍らでいつも創作活動をすることは、自分を日々癒していたのだろうと悟る。
それは時に絵だったり文章だったり。呼吸をするように、生活に根付いた自然な営みだった。それがまた力みのない作品の魅力ともなっていたのだろう。
一方で、6年ほど前に日本でせわしく働いていたとき、心底思っていたことがある。
「生活を楽しみたい!」
帰って深夜、アボガドと豆腐と大豆水煮を混ぜて食べて(精一杯の料理)、バタっと死ぬように寝る日々だった。ほんの数か月続けただけで「いくら好きな仕事でもこれは何年もできないし、最優先にできない」と自己確認した瞬間があった。社長も先輩たちももっと働いていた。それをできる人たちがこの世にはいる。それを知れてよかった。だが、私は「何よりも生活がしたい」と思った。心地よいおうち時間と最低限の日光浴の確保が自分にとって第一優先なのだと気づいたときのことをふと思い出した。
それが最近は存分にできているから、今だいぶ満たされて、創作を介さずとも癒されている時期なのだと思う。
それはなにより、であり、皮肉である……!
その傍らで、年末に大風邪の只中なんのきなしに観ていたアイドルのオーディション番組からちょっとした学びがあった。
番組内でプロのアイドルはオーディション候補生に対して、アイドルたるものこうあるべきという姿勢の話をしていた。「プロのアイドルは観る人にどういう影響を与えるのか、いつも考えて表現する」「ファンは自分の人生をかけて(労働したお金と人生の時間を使って)応援していることを忘れてはならない」「自分の楽しみだけのために踊るのはプロではない」。さすが商業的シンボルの権化、いいこと言う、とノートについメモってしまった。
そして、後日たまたま受講した某編集者のオンライン編集講座でも似たようなことを話しており、ふと心に留まった。「みんな『自分』に興味がある。だから、本を作るときもこういうものを書いたよ~!と発表会的に済ませるのではなくて『これを読むとこんな部分に気づくきっかけになるよ』と読み手をいざなったり、楽しませる客観的視点を常にもつことが大切」「わかめや豆腐があります、じゃない。それを調理して味噌汁として美味しく食べさせることが編集」「本をつくりたい!だけじゃだめ」とのこと。
か、かさなる。
そして、それが響くということは今の自分にとって大事なことなんだと思う。
イラストレーションを創作するときも、こうやって文章を書くときも大切な視点だ。
そういえば宇多田ヒカルも「時代や社会に向かって歌ったことはない。つねに部屋でひとりヘッドホンをつけてる『誰か』に向けて歌っている」と言っていたのを書きながら思い出した。
服飾分野の会社員時代、ペルソナは誰だとか真剣に書き出していたことも思い出したり……。それも「誰に届けたいか」確認する作業だったなとしみじみ。
よい表現とは作り手を癒しながら、誰かに向けた立派なコミュニケーションであること。その両者は両立するということに、いま一度自覚的でありたい。
▲10年前の絵の集合写真。化石化したUSBから発掘しました。
この子たちをどうしようと思いながら写真撮ったのを覚えている。
龍山千里 | Chisato Tatsuyama
1991年神奈川出身、2020年よりフランス在住。日本の織物産地でテキスタイルデザイン職を経て渡仏、2024年秋よりフリーランスとして活動を開始。コラージュの手法を用いてイラストレーションやデザインを制作する。
instagram @chisato_tatsuyama
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