編集担当・マッキーによる連載です。本や雑誌をつくる「編集」の視点を、日々の暮らしに落とし込む試みをお届けしていきます。ほんのりリニューアル☆



こんにちは。Phytreatwebのマッキーです。

のほほんと、結局7月はなんのテーマも決めずに終わりました。そして気づけば、暦のうえではもう立秋。

こんなにのんびりしながらも生き延びている人もいますので、みなさまの安心材料になれば幸いです。(なるのか?)

そんなわけで、なんの編集実験もしていませんが、徒然と本題へ。

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自分のことを語るのって、意外と難しい。

気軽な会話の断片にも、自分の本質はちらりと見え隠れしているはず。でも、日常の中で意識的に自分について語る機会は、案外少ないものです。

今なら、SNSのほうが語る場になっているかもしれません。でもそこにいるのは、意外と“きれいに整えた私のほう”だったりしませんか?

私の仕事の一部に「話を聞く」「掘り出す」というターンがあります。なかでも、まだ自分を語る言葉を持たない若い人と向き合うときは、ワクワクが倍増!

「小さい頃、好きだったものは?」
「今、よく見ているものは何?」
「あの時のあの行動は、どんな気持ちだった?」

そんな世間話のような問いを重ねるうち、彼らの言葉が少しずつリアルになっていく。誰かに借りたようなかっこいい言葉をあの手この手で崩していくと、拙くても自分の言葉で語った「自分」が顔を見せ始める。

曖昧だった価値観や感情に輪郭が添えられ、時折「あ!」という表情や声が出たら、もううれしい。

「自分はこれが好きだったんだ! だからこれから…」と、彼らの中の地図が一気に、とは言わずとも少し描き変わっていくのが見える。

言葉は時に暴力的で、口にしたことで形を固定してしまうこわさもあります。でも一方で、語ることは荷物の整理のようなものだと思うのです。

語り始めるとぽろぽろと出てくる、持っていたことすら忘れていたもの。しまい込んだ感情や記憶の断片、無意識のままだった価値観や視点。

話していくうちに、それらが少しずつ並び替えられ、意味を持ち始めて、自分の輪郭が浮かび上がってくる。

そして、この整理はひとりよりも、相手がいたほうが不思議とはかどる。相手のうなずきや何気ないつっこみが、自分では触れなかった場所に手を伸ばすきっかけになることもあるから。

少し寄る辺ないような、迷子のような気持ちのときこそ、誰かに語ってみるといい。

語れば語るほど、自分という輪郭がくっきりし、それはその外側にいる新しい自分との出会いのチャンスにもなる。

だから今度、誰かに「最近どんな感じ?」と聞かれたら、たまには自分のことをいっぱい喋ってみたらどうだろう。

次は聞き役を担うなら、それも許してもらえると思うのです。あと、聞くのって結構楽しいので!



福田真木子(ふくだ・まきこ)
Phytreatweb編集担当。フリーランスの編集者・ライター。美容専門出版社を経て、独立。美容、健康、暮らしジャンルを中心に活動中。ガロンカオリ(梅屋香織)の著書『ハーブではじめる植物療法の手引き』の企画・編集を担当。